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October 05102013

 背の高きことは良きこと秋立ちぬ

                           宮田珠子

秋からほぼ二ヶ月経ってしまったのだが今日の一句とした。平成二十一年秋の作とわかっているが、活字になっていないので出典はない。秋立つのは一日のこと、たいていまだまだ暑いので季感も含めて、暦の上では秋、と思いながら一日過ごしても句を為しづらい。この句が、秋の晴、であったら平凡な発想、秋立つ、であるから、ふと清々しいのだろう。当時小学六年生だったお嬢さんを詠んだ一句、と知ると、背が高いことを気にしている娘に対する母の眼差しと共に、母と娘の立秋の一日が思われる。先週、作者は五十年の生涯を閉じられ、その葬儀に参列した。初めてお目にかかったお嬢さんは今は高校一年生、すらりと伸びた脚に制服がよく似合っていた。(今井肖子)


March 1232016

 卒業の前夜に流す涙かな

                           宮田珠子

わずはっとさせられた。明日は卒業式という夜、その胸に去来するものは何だったのだろう。卒業式の涙とは違う涙、多感な十代の姿がありありと感じられるのは、目の前の景がそのまま句となったからだろう。作者は当時四十代、涙をこぼしているのは作者の小学六年生のお嬢さんである。以前にも書いたことがあるが、作者の宮田珠子さんは二人のお嬢さんを残して平成二十五年の秋に五十歳で亡くなられた。〈雛にだけ話したきことあるらしく〉〈子供の日子供だらけてをりにけり〉〈裸子の気になつてゐる臍の穴〉など、独特の愛情あふれる目線で作られた吾子句はいずれも個性が光っている。句会報を整理していて掲出句を見つけたが、あらためてその早逝が惜しまれる。(今井肖子)




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